一晩寝かせたトイストーリー4の話をします

折角ブログ作ったんだから、担当上位の地獄以外の話もしたい。

例えば最近見た映画の話とか、なんかすごくリア充してるな!

 

というわけで表題の通り「トイ・ストーリー4」を観ました。(以下作品名は「トイストーリー」とかナンバリングで表記します)

7月公開ということだけ覚えてて、朝ぼんやりツイッター見たらプロモーションツイートで今日じゃん!と気づいたので、その場で近所の映画館のチケを予約。便利ですね。

私は映画でもテレビシリーズでも、一回ツボに入ると一ヶ月はずっと同じのばかり観ているタイプで、トイストーリーも学生の頃急にハマって、3は映画館で顔中びちゃびちゃにして付き添いの友人がドン引きするほど感情を揺さぶられました。

要はそれなりに好きな作品ということですね。ショートフィルムはなんやかんや未視聴なんですが。

だから4も楽しみにしてました。3で完結してるから蛇足だとかなんとかいう崇高な話はどうでもよくて、単純に好きなキャラクターの新しい話がまた観られるから楽しみにしてたわけです。

でも観終わって「オギャ…ビョエ…」となった後、このミキサーで荒く混ぜ合わせたような感情を共有する相手もいないし、検索したらなんか荒んだ感想が目に付いちゃうし、悲しいから自分で書くことにします。

くそオタクの乱筆長文は許してほしい。

 

以下ネタバレなので自己責任で見てね。

 

あ、前置きなんですけど、ショックが強すぎてパンフ買うの忘れたし、元々あまりスタッフのインタビューとか読めないタチなので「それ公式に発言あるぜ!!!」と思ってもスルーしてもらえたら嬉しいです。

 

まず面白いかどうかは声を大にしてYes‼︎‼︎だと思います。

私はトイストーリーのファンですがピクサーのファンではないので作風がうんちゃらとか言えません。

因みになんでピクサーファンまで至らないかというと、カーズが怖いからです。機関車トーマスが怖いので、同じような理由で車に顔があるのが怖い。

 

正直トイストーリーも、幼少の折に見たときはめちゃめちゃ怖くて(シドのおもちゃよりウッディが怖かった)今もウッディがおもちゃの顔してるときはちょっとドキドキします。多分あの顔が怖いんだろうな…。

で、トイストーリーって、おもちゃが持つ「味」の部分でホラー表現をしていくような…それこそ人形が勝手に夜中に動いてたら怖いとか、おもちゃたちが無表情でじっと見てたら怖いとか、ある種万国共通的な恐怖演出によって、コミカルさとシリアスさを演出するテクニックがあると個人的に思ってて、そこが好きなんですが、4はこれが今までで一番生かされてたんですよね。

だって腹話術人形がぞろぞろ並んでくてんくてんの体で歩いてたらめっちゃ怖いし、誰も押してないベビーカーが猛スピードで走って転んで、でも中に赤ちゃんがいるかもと思ったら腹話術人形が寝てるだけなんてもうめっちゃ怖いし。ベビーカーの中をちゃんと確認したあの優しい女性は、きっとあの後よう寝付けんかったやろな。かわいそう。

3では、猿のおもちゃとビッグベビーが特にこの役目を果たしてましたね。ホラー演出に関わる時間帯が、概ね夜に限定されているのもこだわりを感じます。3に関してはプリズンブレイクも演出の一端だったと思うので、人目を忍ぶという点でも夜が選ばれていました。

 

4では人目を忍びながらもタイムリミットが確実に設定され(ちょっとずつ伸ばされていましたが)、更に舞台が骨董品屋という、時間帯に関わらず怪しくて不気味な「死角」が多そうな場所を選んでいるというのが良かったです。

この「骨董品屋」という舞台は、個人的に4のエンディングへの暗示を含む気がしてるんですよね。

というのも、常々トイストーリーを見ていて「意思のあるおもちゃ」と「ないおもちゃ」の違いがずっと疑問だったんです。だっておもちゃ全てに意思があるなら、例えばボールとかトランプとかも喋るか勝手に動くかするはずなのにしないし、かと思えば顔のついたラジコンカーや1に出てきた絵を描くおもちゃは喋ったりする。あの違いって何なんだろうなあと。

その不思議の一つに「ボー・ピープ」があったんですよね。彼女自身、自分をおもちゃと認識していますが、本当はただの置物のはずで、置物って普通に考えたらおもちゃじゃないんですよ。腕は可動しないしステッキも本当は着脱しないだろうし(するのかな…)、電気スタンドに付属している陶製の置物。だから多分、アンディが彼女で遊ぼうと思うまでは、彼女自身はおもちゃじゃなかったはず。

アンディが彼女におもちゃとしての「意思」を与えた…ではその「意思」に紐づくのはなんだろうか?これは「遊び方」かな、と思ってます。ボーはアンディの遊び方の中で「囚われのヒロイン」としての役割を与えられることが、おそらくしょっちゅうあったと思います。アンディの遊び方はたいていが「ごっこ遊び」で、これはおもちゃの種類によってできるかどうかが変わってきます。

ボールやトランプにごっこ遊びの「役」はできない、小道具として背景になるだけ。けど顔があってコミュニケーションが取れる形をしていると、ごっこ遊びの中に加われるので、その遊びの中で「意思」が根付いていくのかなあ、と漠然と感じてます。フォーキーに「意思」が芽生えたのもそのせいなのかなあ、とか。

砂のおもちゃはいまだによくわかんない。あいつは何で喋れるんだろう。音声機能付いてるの?

 

まあ砂のおもちゃのことはちょっと置いといて、この「おもちゃが意思を持つとどうなるのか?」ということがシリーズで描かれているテーマと言うか、コンセプトなんだと思うんですが、これが突き詰められたのが最終的に4だった、と言う感じですね。やっと4の話に戻ります。

今回、今までと変わらずあったのは、主人公ウッディの心境を描く、彼主体の演出だと思うんですが、今までと違ってきたのもまたウッディのことなんですよね。

 

3までのウッディはとにかく「持ち主に大切にされ、遊んでもらうことがおもちゃとしての喜び」だったと思います。特に17年の付き合いだったアンディとの別れは何回見ても泣くんですが(今回も冒頭でボニーとアンディのシーンがあったので泣きました)、ボニーの手に渡った3の終わりまでは、ウッディはこの気持ちを持っていて、だからこそボニーに譲られることを望んだし、3できれいに終わったなとされる解釈が多いのもこういう点だと思います。人間は成長していつまでもおもちゃで遊べないけど、おもちゃはいつまでも人間と遊んでいたい。あれ、こう書くとホラーだな…?

4は何が変わったかと言うと、ウッディが持ち主へのこだわりを吹っ切ったことにあると思うんですよ。そしてこれが多分、賛否両論ある理由なんだとも思います。

冒頭からすでにボニーに遊ばれなくなっていくウッディ、毎度のことながらウッディの豆腐メンタルを傷つけることに卓越した技術を感じます。しかも不慣れな幼稚園で新しく作ったフォーキーにボニーはすっかり夢中。けれどフォーキーの存在がボニーの心の安寧だと信じるウッディは、全身全霊でフォーキーをおもちゃとしてボニーの傍にいさせようとする。

このあたりからちょっといつもと様子が違う。まずボニーに遊ばれなくなった辺りから「おや…?」とは思っていたんですが、ウッディはボニーのおもちゃたちの中ではリーダーではないんですよね。そりゃそうなんですが。だってウッディたちのほうが後から来たし。でも、ボニーに飽きられてる時点で、今までのように主導権を握ることは出来ない。

1でバズが来た時の疎外感に似てますね。あの時はまだ、自分がアンディの一番のおもちゃだというプライドがあったのでバズと喧嘩もしましたが、1の出来事を経て、フォーキーという「自分はごみ」と認識している仲間をボニーのために迎え入れようとする姿は、アンディのおもちゃだった頃に見ることは出来なかったでしょう。

これにも個人的解釈を持っているのですが、作中でウッディが「1950年代製のおもちゃ」であることに触れます。これが判明したことに私は衝撃を受けたんですよ。だって2でウッディの原作番組見て、アンディの幼少期にやってた番組とは思えなかったし、これは多分お父さんのおさがりのおもちゃなんだな…と思ってたんですよね。もしくは今回のようにアンティークで見つけたか。でもそれなら骨董品屋という場所でウッディの心境に何らかの影響があるはずなので、やはりウッディは、初めからおもちゃとしてずっとアンディの家にあった「箱入りおもちゃ」なのだと確信しています。

それを踏まえて、今回もう一つ見どころを感じているのは「ウッディが全然役に立たない」こと。時代の流れでヒロインに求めるものが変わってきた、という見解もなるほどな~と思うんですが、個人的にはただ「ウッディがマジで箱入りだった」ことをウッディが見せつけられてる、という印象を受けました。ウッディは今まで数々の冒険をしてきましたが、帰る家ありきでの冒険だったんだなと。迷子のおもちゃとしての暮らしを何年も続けたボーとは、あきらかにサバイバル経験が違います。

特に4ではボニーとフォーキーのことで頭がいっぱいで、ウッディ自身に余裕がない場面も多かったなあと思います。かつての仲間の意外な一面に驚きを隠せない、みたいなとこも。

こういう「現場経験の違い」が、ボーとウッディは勿論、ボニーのおもちゃたちとウッディの間にもあったような気がします。ボニーのおもちゃたちに関して言えば、結果的にウッディの考え方に理解を示したからこそ、部屋を出てボニーを見守ることにも前向きになったのかも。「ボニーのため」という主題に対して起こすべきアクションに、解釈の不一致があったのが冒頭の微妙な空気感だなあ、とか思ったりします。会社みたいじゃん…つら…。

 

ちょっとウッディ以外の話もします。今作もバズは、コミカル要員として光り輝いていましたね。真面目キャラってギャグにもってこいみたいなとこありますしね。

ウッディの「内なる声」について全然わからんと言った感じの、でも聞こえるのかもしれんと思って自分のスイッチ押してみたりするとこめっちゃ好き。そういうとこ好き。

バズサイドでは、骨董品屋でチームを共にした景品のぬいぐるみもめっちゃよかったです。彼らが発案する「それは無理」な作戦、おもちゃのルールをベリッベリに破いた斬新さと異端さが、これまた1の終盤を彷彿とさせて懐かしさとバカバカしさの組み合わせ方が絶妙でした。あの二体がお笑いパートやってるとき劇場内も笑いに包まれていたので、笑いを取ろうとして笑いを取れるボケという天才の妙技を感じました。終盤の目からビーム出す奴めっちゃ好き。

 

そう、「内なる声」の話がしたいんですよ私ァ。

あれ、ウッディにしか分からない感情なんだ…?ってのがすっごく印象に残ってるんですよね。ウッディは「忠誠心」と言いましたけど、多分「使命感」のほうが近いんじゃないか?とも思います。ボーには自己満足だって言われちゃったけどね。

あの「内なる声」って、多分4で湧いて来たんじゃなくて前からずっとあったと思うんですよね。それこそ1の頃から。要は「持ち主のためにやれることを考える」っていう気持ちから生まれるんだと思うんですが、よく考えたら今まで自主的に持ち主のためのことを考えて何かしてきたのって、ウッディとバズくらいじゃないか?他のみんなって割とこの二人の指示に従って来ただけで、そういう面では自分の意思を持ったことがないのでは?ってのが気になったんですよ。

んで、バズがした持ち主のための行動って、2でウッディを助けに来たくらいしか過去の実績がない上に、4で「内なる声」がわからなかったということは、2のバズの行動はあくまで「おもちゃの仕事」の一環だった、ということではないかと思います。仲間との絆だってあると思うんですが、それはウッディが「持ち主の気持ちに寄り添って考えた最良の方法」として考えて導き出す結論とはまた違うんだと思うんですよね。

「良質なサービス業」と「奉仕精神」との違いというか…おもちゃたちは良質な遊びのサービスを子供に提供して、報酬として遊んでもらう喜びを得る。飽きられたり忘れられたりすれば、サービスの提供も出来ないし遊んでもらえない、寂しいなあ、ってのが普通のおもちゃの感覚。持ち主の気持ちや心境、暮らしの環境について考えながら、どうしたら持ち主が楽しく笑顔で過ごせるのか、まではおもちゃは本来考えないんじゃないのかと。今作のボスキャラともいえるギャビー・ギャビーにしたって、2でも3でもヴィランだったおもちゃたちも、「遊んでほしい」というおもちゃの仕事のために画策(プロスペクターはちょっと違う気もしますが、彼も本来遊んでもらうための存在だったことは認識していて、それでも人気がなかったことに対しての失望という点では、もともとあった気持ちは同じなのかなと)しているわけで、いわば本能が主体なんですよね。

ウッディはそれが1~3を経て変質していて、本能を補う思考と知識がついてきてる…これってかなり人間に近づいているんじゃないかと思うんですよ。要は「自我」が芽生えているわけです。で、最終的に「誰かのおもちゃ」としての使命を捨ててしまう。ギャビーにボイスボックスを譲った時から、既に彼の気持ちは「誰かのおもちゃ」としてではなく「自分のために生きるおもちゃ」になっていたのでしょう。遊んでもらうつもりならボイスボックスは絶対に欠かせなかったはずなのに。

この価値観がピクサーにあるのかわからないんですが、私は4でウッディは「付喪神」になったんだと思っています。これまでのシリーズでの成長が彼自身を変えたのもそうですが、それは60年近いおもちゃとしての人生があった彼だからこそ芽生えた魂なのだと思います。ボーに「もっと広い世界を見てみたいと思わない?」といわれたことも、ギャビーとの出会いも、そしてフォーキーとの出会いも、彼の行動へのきっかけとして十分だったというだけで、むしろウッディほどの自我を持ちながらそれでもおもちゃとして暮らしてきたのは、彼自身の優しさがおもちゃに向いていた、というだけだったのかな…とかなんとか。

 

何か自分でも引くほど書いてるからもうやめとこ…書きながら前に書いたこと忘れてきた…。

あ、今作一番泣いたのはラストなんですけど、何がつらいってウッディとバズが離れ離れになったことです。こんなに長々喋っといてあれなんですが、それはウッディの気持ちがうんたらとかじゃなくて、私は単純に「強い絆で結ばれた唯一無二の二人が永遠に離れ離れになる」というシチュエーションそのものが悲しいので、大抵その手の展開で絶対泣くんですよね。ほんとつらかった。誰かと共有したい。ほんとにつらい。

 

 

まあとにかくトイストーリー4はすごくよかった。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。